伊勢おはらい町通り&おかげ横丁情報
※その他伊勢市情報
http://www.spotlog.info/archives/50700274.html
※その他伊勢市情報
http://www.spotlog.info/archives/50700274.html
場所
三重県伊勢市
おはらい町Googleマップの地図
おかげ横丁Googleマップの地図
行き方
JR参宮線&近鉄山田線伊勢市駅下車。
下車後三重交通バスで庁舎前or徴古館行きに乗車し
内宮前バス停下車。(乗車時間15~20分)
下車後徒歩2~3分。
交通の便
JR東海
参宮線は一時間に1~2本汽車があり。
近畿日本鉄道
近鉄山田線は7~8分に一本電車があり。
三重交通バスは平均1時間に4本バスがあり。(土日は毎時1本程多い)
伊勢市駅前から内宮前へと向かうバス時刻表
http://businfo.sanco.co.jp/busstop/
簡単な感想
伊勢神宮の外宮内宮の参拝を終えた後は、内宮前の参道沿いにある
伊勢おはらい町通りと、赤福の社長が創り上げた観光スポットのおかげ横丁へ向かいました。
内宮の入り口である宇治橋を出て北側へと続くおはらい町は、古くから伊勢神宮の鳥居前町として栄え
江戸時代には参宮客が年間200~400万人も押し寄せた庶民の憧れの観光地で
当時、日本全国から参宮客を集めた御師と呼ばれる人々がこの通りに館を連ね
客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。
今日ではあまりの観光客の多さに、人の海に飛び込むような感覚を覚えるおはらい町は
高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には伊勢神宮の参拝客が500万人程だったのに対して
おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込み、観光客は伊勢おはらい町通りに平行する
国道23号を利用してバスや自動車で宇治橋前まで乗り付け、参拝を終えると
おはらい町へ立ち寄らずに次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加したそうです。
※観光客が減少した要因として、同時期の高度経済成長期の影響により
近代化の波を受けて「伊勢らしい建物」をなくしたおはらい町は
観光客の魅力を失っていた為に客足が急激に落ちたようです。
この状況を憂慮し立ち上がったのはこの地に本店を構えていた、老舗和菓子店の赤福で
赤福は有志を募り1979年に「内宮門前町再開発委員会」を結成し
赤福社長の濱田益嗣の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ
日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づいて
伊勢の伝統的な町並みの再生が始まり
こうした動きを受けて伊勢市は1989年(平成元年)に「伊勢市まちなみ保全条例」を制定し
更に「伊勢市まちなみ保全事業基金」が創設された。
この基金は伝統様式を取り入れた修景の際に融資するというもので
補助金を拠出するものではなかったが、地域の人々の熱い思いから
わずか10年で江戸時代の町並みがよみがえった。
三重県や伊勢市当局もこの町並み再生に協力的で、電線地中化と路面の石畳化を実施した。
そして町並みが整い始めた1990年代から「おはらい町」の名を前面に押し出すようになった。
この保全事業は2009年10月1日に「伊勢市景観計画」に引き継がれ廃止となった。
更に赤福は1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせて「おかげ横丁」を開業させた。
おかげ横丁と生まれ変わったおはらい町は、2002年(平成14年)には
入込客数が300万人を突破し、お蔭参りの頃の賑わいを回復した。
これを評価され濱田は観光カリスマに選定されたが、赤福餅の消費期限及び
製造日、原材料表示偽装で騒がれていた2007年11月12日に辞任した。
大勢の観光客でおはらい町が賑わうようになった反面、2008年(平成20年)には
9件の事故が発生したほか、「車にひかれそうになった」などという苦情が寄せられ
2009年(平成21年)7月25日から土・日・祝日の伊勢おはらい町通りは歩行者天国になり
ゆったりとおはらい町を歩けるようになりました。
しばらくおはらい町を歩いていると、おはらい町を復活させた赤福の本店があり
私も赤福の赤福は好きで、名古屋方面に行った帰りのお土産に買って帰る事が多いです。
※季節限定メニューとして赤福氷というメニューもあるようです。
赤福本店のある場所から伊勢街道方面へと曲がると
そこはおかげ横丁と呼ばれる、三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にある
お蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の
町並みを再現した観光地で、運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である
有限会社伊勢福が行い、現在では伊勢志摩を代表する観光地となっています。
おかげ横丁内には物販店が31店、飲食店が10店あり、おはらい町と比べると規模は小さいですが
赤福肝いりの観光地とあって、そこに居て景色を見ているだけでも楽しい場所です。
お勧め度
5段階評価で4
三重県伊勢市
おはらい町Googleマップの地図
おかげ横丁Googleマップの地図
行き方
JR参宮線&近鉄山田線伊勢市駅下車。
下車後三重交通バスで庁舎前or徴古館行きに乗車し
内宮前バス停下車。(乗車時間15~20分)
下車後徒歩2~3分。
交通の便
JR東海
参宮線は一時間に1~2本汽車があり。
近畿日本鉄道
近鉄山田線は7~8分に一本電車があり。
三重交通バスは平均1時間に4本バスがあり。(土日は毎時1本程多い)
伊勢市駅前から内宮前へと向かうバス時刻表
http://businfo.sanco.co.jp/busstop/
簡単な感想
伊勢神宮の外宮内宮の参拝を終えた後は、内宮前の参道沿いにある
伊勢おはらい町通りと、赤福の社長が創り上げた観光スポットのおかげ横丁へ向かいました。
内宮の入り口である宇治橋を出て北側へと続くおはらい町は、古くから伊勢神宮の鳥居前町として栄え
江戸時代には参宮客が年間200~400万人も押し寄せた庶民の憧れの観光地で
当時、日本全国から参宮客を集めた御師と呼ばれる人々がこの通りに館を連ね
客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。
今日ではあまりの観光客の多さに、人の海に飛び込むような感覚を覚えるおはらい町は
高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には伊勢神宮の参拝客が500万人程だったのに対して
おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込み、観光客は伊勢おはらい町通りに平行する
国道23号を利用してバスや自動車で宇治橋前まで乗り付け、参拝を終えると
おはらい町へ立ち寄らずに次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加したそうです。
※観光客が減少した要因として、同時期の高度経済成長期の影響により
近代化の波を受けて「伊勢らしい建物」をなくしたおはらい町は
観光客の魅力を失っていた為に客足が急激に落ちたようです。
この状況を憂慮し立ち上がったのはこの地に本店を構えていた、老舗和菓子店の赤福で
赤福は有志を募り1979年に「内宮門前町再開発委員会」を結成し
赤福社長の濱田益嗣の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ
日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づいて
伊勢の伝統的な町並みの再生が始まり
こうした動きを受けて伊勢市は1989年(平成元年)に「伊勢市まちなみ保全条例」を制定し
更に「伊勢市まちなみ保全事業基金」が創設された。
この基金は伝統様式を取り入れた修景の際に融資するというもので
補助金を拠出するものではなかったが、地域の人々の熱い思いから
わずか10年で江戸時代の町並みがよみがえった。
三重県や伊勢市当局もこの町並み再生に協力的で、電線地中化と路面の石畳化を実施した。
そして町並みが整い始めた1990年代から「おはらい町」の名を前面に押し出すようになった。
この保全事業は2009年10月1日に「伊勢市景観計画」に引き継がれ廃止となった。
更に赤福は1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせて「おかげ横丁」を開業させた。
おかげ横丁と生まれ変わったおはらい町は、2002年(平成14年)には
入込客数が300万人を突破し、お蔭参りの頃の賑わいを回復した。
これを評価され濱田は観光カリスマに選定されたが、赤福餅の消費期限及び
製造日、原材料表示偽装で騒がれていた2007年11月12日に辞任した。
大勢の観光客でおはらい町が賑わうようになった反面、2008年(平成20年)には
9件の事故が発生したほか、「車にひかれそうになった」などという苦情が寄せられ
2009年(平成21年)7月25日から土・日・祝日の伊勢おはらい町通りは歩行者天国になり
ゆったりとおはらい町を歩けるようになりました。
しばらくおはらい町を歩いていると、おはらい町を復活させた赤福の本店があり
私も赤福の赤福は好きで、名古屋方面に行った帰りのお土産に買って帰る事が多いです。
※季節限定メニューとして赤福氷というメニューもあるようです。
赤福本店のある場所から伊勢街道方面へと曲がると
そこはおかげ横丁と呼ばれる、三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にある
お蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の
町並みを再現した観光地で、運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である
有限会社伊勢福が行い、現在では伊勢志摩を代表する観光地となっています。
おかげ横丁内には物販店が31店、飲食店が10店あり、おはらい町と比べると規模は小さいですが
赤福肝いりの観光地とあって、そこに居て景色を見ているだけでも楽しい場所です。
お勧め度
5段階評価で4
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