伊勢神宮(外宮)情報
※その他伊勢市情報
http://www.spotlog.info/archives/50700274.html
※その他伊勢神宮情報
http://www.spotlog.info/archives/50700278.html
※その他伊勢市情報
http://www.spotlog.info/archives/50700274.html
※その他伊勢神宮情報
http://www.spotlog.info/archives/50700278.html
場所
三重県伊勢市Googleマップの地図
行き方
JR参宮線&近鉄山田線伊勢市駅下車。
下車後徒歩10分
交通の便
JR東海
参宮線は一時間に1~2本汽車があり。
近畿日本鉄道
近鉄山田線は7~8分に一本電車があり。
簡単な感想
外宮入り口へと到着した後は、入口前の看板に従って表参道火除橋の左を通って外宮内部へと進みます。
橋の左側を渡り終えた後は、第一鳥居内へと入る前に手前の手水舎で身を清め
その後第一鳥居口参道奥へ向けて移動をします。
第一鳥居を抜けて深い森に囲まれた参道を進むと第二鳥居口が見え始め
この日伊勢市は最高気温37度と猛烈に暑く、伊勢市駅から外宮までの道も蒸し暑く
伊勢神宮見学も辛そうだぁと思っていましたが、外宮全体が深い森の中にある事により
参道は勿論外宮参拝終了まで涼しく快適でした。
森に囲まれた参道を抜けると、神楽殿に到着します。
ここ神楽殿はご祈祷のお神楽や御撰(みけ)を行う御殿のことで
神楽殿では上記のような神事が行われる他に、お札やお守りなども授与しております。
※建物は鎌倉時代風に建てられていると伊勢神宮公式サイト内のPDFに情報があります。
※伊勢神宮公式サイト内の伊勢神宮外宮マップPDF
http://www.isejingu.or.jp/pdf/illust-geku.pdf
その後は隣にある御撰(みけ)殿へと移動します。
御撰(みけ)殿は撮影禁止だったので、特に内部の写真は用意できませんが
御撰(みけ)殿へと入ると、御撰(みけ)殿の隣に新御敷地と呼ばれる空き地があります。
新御敷地について調べてみると、伊勢神宮では20年事に神宮式年遷宮(しんかんしきねんせんぐう)
と言う行事があり、神宮式年遷宮とは神宮(伊勢神宮)において行われる
式年遷宮(定期的に行われる遷宮)の事で、神宮では、原則として20年ごとに
内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿
14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか
装束・神宝、宇治橋なども合わせて造り替えられるそうです。
理由は神々の引越しや、宮大工の技術継承、長く同じ建物を建てておくと穢れる為等
その理由は色々とあるようですが、そんな行事を定期的に行う関係で
重要な建物の近くには新御敷地のような移転後の空き地を設けているようです。
※伊勢神宮では2013年に神宮式年遷宮(しんかんしきねんせんぐう)が行われる予定があるのですが
遷宮後は今の御撰(みけ)殿が新御敷地になり、今の新御敷地が御撰(みけ)殿に置き換わります。
その後は御撰殿近くにある、外宮最大のパワースポットと呼ばれる三ツ石の見学を行い
その奥にある下御井神社へ向かう前に勾玉池の見学を行いましたが
池の水は濁っていて、名水地の様に澄んだ水ではない所がちょっぴり残念です。
その後は御撰殿南側の丘の上にある下御井神社や別宮のある方へと移動し
まずは風宮から見学をします。
名は体を表すという諺の通り、祭神は風の神で
皇大神宮別宮の風日祈宮と御同神で、農業に深い関係のある
風と雨の順調をお祈りする。元寇の国難に際して、神風の御神威により
正応6年(1293)宮号宣下がされ、風宮と称するようになった。
なお、遷御の儀は平成6年(1994)12月10日に斎行された。
とあり、元寇時に吹いたとされる神風に因んだ宮である事が分かります。
※神風については諸説あり、今日では神風によって元寇に勝利した訳ではないとされ
特に海戦では海に不慣れな元よりも、幕府軍の方が優勢だったようです。
戦争には結果的に勝利した物の、元寇によって恩賞や戦費が嵩んだことにより
幕府の予算を食いつぶした事が鎌倉幕府の崩壊に繋がりました。
風宮見学後は隣の土宮へと移動し
土宮の祭神は豊受大神宮宮域の地主神であり、宮川の氾濫を治める
堤防守護の神として尊ばれる大土御祖神。
大治3年(1128)特に宮号宣下があり、土宮と称するようになった。
宮域内で、東面しているお宮は土宮のみである。
なお、遷御の儀は平成6年(1994)11月19日に斎行されたそうです。
その後は亀の形をしている事から亀石と名付けられた奇石を見学し
このエリアのもうひとつの別宮である多賀宮へ移動します。
一番奥まった場所にある多賀宮は、ご神霊のはたらきから
荒御魂は積極的・進取的・活動的なご神霊である。
各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向される。
なお、遷御の儀は豊受大神宮につづき8日後の10月13日に斎行された。
明治以前は高宮とも書かれているが、丘の上の高いところにお鎮まりになっているからである。
とあり、名前の由来は立地する場所が要因であった事が分かります。
丘の上の別宮の見学を終えた後は階段を降りて御撰殿前へと戻り
御撰殿前からは境内の庭園などを撮影しながら出口を目指し
北御門参道を経由して表参道の方へと戻りました。
表参道前へと戻ってきた後は、内宮方面へ向けてバスで移動します。
※最寄り駅の伊勢市駅前から外宮前への道
http://www.spotlog.info/archives/50703020.html
お勧め度
5段階評価で4
三重県伊勢市Googleマップの地図
行き方
JR参宮線&近鉄山田線伊勢市駅下車。
下車後徒歩10分
交通の便
JR東海
参宮線は一時間に1~2本汽車があり。
近畿日本鉄道
近鉄山田線は7~8分に一本電車があり。
簡単な感想
外宮入り口へと到着した後は、入口前の看板に従って表参道火除橋の左を通って外宮内部へと進みます。
橋の左側を渡り終えた後は、第一鳥居内へと入る前に手前の手水舎で身を清め
その後第一鳥居口参道奥へ向けて移動をします。
第一鳥居を抜けて深い森に囲まれた参道を進むと第二鳥居口が見え始め
この日伊勢市は最高気温37度と猛烈に暑く、伊勢市駅から外宮までの道も蒸し暑く
伊勢神宮見学も辛そうだぁと思っていましたが、外宮全体が深い森の中にある事により
参道は勿論外宮参拝終了まで涼しく快適でした。
森に囲まれた参道を抜けると、神楽殿に到着します。
ここ神楽殿はご祈祷のお神楽や御撰(みけ)を行う御殿のことで
神楽殿では上記のような神事が行われる他に、お札やお守りなども授与しております。
※建物は鎌倉時代風に建てられていると伊勢神宮公式サイト内のPDFに情報があります。
※伊勢神宮公式サイト内の伊勢神宮外宮マップPDF
http://www.isejingu.or.jp/pdf/illust-geku.pdf
その後は隣にある御撰(みけ)殿へと移動します。
御撰(みけ)殿は撮影禁止だったので、特に内部の写真は用意できませんが
御撰(みけ)殿へと入ると、御撰(みけ)殿の隣に新御敷地と呼ばれる空き地があります。
新御敷地について調べてみると、伊勢神宮では20年事に神宮式年遷宮(しんかんしきねんせんぐう)
と言う行事があり、神宮式年遷宮とは神宮(伊勢神宮)において行われる
式年遷宮(定期的に行われる遷宮)の事で、神宮では、原則として20年ごとに
内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿
14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか
装束・神宝、宇治橋なども合わせて造り替えられるそうです。
理由は神々の引越しや、宮大工の技術継承、長く同じ建物を建てておくと穢れる為等
その理由は色々とあるようですが、そんな行事を定期的に行う関係で
重要な建物の近くには新御敷地のような移転後の空き地を設けているようです。
※伊勢神宮では2013年に神宮式年遷宮(しんかんしきねんせんぐう)が行われる予定があるのですが
遷宮後は今の御撰(みけ)殿が新御敷地になり、今の新御敷地が御撰(みけ)殿に置き換わります。
その後は御撰殿近くにある、外宮最大のパワースポットと呼ばれる三ツ石の見学を行い
その奥にある下御井神社へ向かう前に勾玉池の見学を行いましたが
池の水は濁っていて、名水地の様に澄んだ水ではない所がちょっぴり残念です。
その後は御撰殿南側の丘の上にある下御井神社や別宮のある方へと移動し
まずは風宮から見学をします。
名は体を表すという諺の通り、祭神は風の神で
皇大神宮別宮の風日祈宮と御同神で、農業に深い関係のある
風と雨の順調をお祈りする。元寇の国難に際して、神風の御神威により
正応6年(1293)宮号宣下がされ、風宮と称するようになった。
なお、遷御の儀は平成6年(1994)12月10日に斎行された。
とあり、元寇時に吹いたとされる神風に因んだ宮である事が分かります。
※神風については諸説あり、今日では神風によって元寇に勝利した訳ではないとされ
特に海戦では海に不慣れな元よりも、幕府軍の方が優勢だったようです。
戦争には結果的に勝利した物の、元寇によって恩賞や戦費が嵩んだことにより
幕府の予算を食いつぶした事が鎌倉幕府の崩壊に繋がりました。
風宮見学後は隣の土宮へと移動し
土宮の祭神は豊受大神宮宮域の地主神であり、宮川の氾濫を治める
堤防守護の神として尊ばれる大土御祖神。
大治3年(1128)特に宮号宣下があり、土宮と称するようになった。
宮域内で、東面しているお宮は土宮のみである。
なお、遷御の儀は平成6年(1994)11月19日に斎行されたそうです。
その後は亀の形をしている事から亀石と名付けられた奇石を見学し
このエリアのもうひとつの別宮である多賀宮へ移動します。
一番奥まった場所にある多賀宮は、ご神霊のはたらきから
荒御魂は積極的・進取的・活動的なご神霊である。
各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向される。
なお、遷御の儀は豊受大神宮につづき8日後の10月13日に斎行された。
明治以前は高宮とも書かれているが、丘の上の高いところにお鎮まりになっているからである。
とあり、名前の由来は立地する場所が要因であった事が分かります。
丘の上の別宮の見学を終えた後は階段を降りて御撰殿前へと戻り
御撰殿前からは境内の庭園などを撮影しながら出口を目指し
北御門参道を経由して表参道の方へと戻りました。
表参道前へと戻ってきた後は、内宮方面へ向けてバスで移動します。
※最寄り駅の伊勢市駅前から外宮前への道
http://www.spotlog.info/archives/50703020.html
お勧め度
5段階評価で4
コメント
コメント一覧 (2)
伊勢神宮に関係のあるブログのリンク集を作っています。
ブログの紹介及びリンクを張らせて頂きました。
よろしければ、ご確認ください。
熊野古道案内 伊勢神宮特集
http://www.kumanokodou.info/isejingu.html
伊勢神宮関係のブログリンク集
http://www.kumanokodou.info/isejingu-blog-1.html
コメントありがとうございます。
名水遊戯管理人の大帝オレと申します。
熊野古道の案内人様のサイト内に名水遊戯で書いた記事の
リンクが貼られていたのを確認しましたので
こちらもトップページ下部の個人リンクコーナーに
↓のリンクを貼らせていただきました。
http://www.kumanokodou.info/
以後もよろしくお願いします。