香取神宮境内情報
※その他香取神宮関連記事
http://www.spotlog.info/archives/50693621.html
※その他香取神宮関連記事
http://www.spotlog.info/archives/50693621.html
場所
千葉県香取市Googleマップの地図
行き方
JR成田線、鹿島線香取駅及びJR成田線佐原駅下車。
下車後香取駅の場合は徒歩30分。
佐原駅の場合はバスがあるらしい(東京からの高速バスもあるようです)
交通の便
佐原駅
成田線
成田方面は21時台を除いて1時間に1~2本
香取駅方面へは1時間に1~2本電車があり。
香取駅
成田線
成田方面へは1時間に1~3本、銚子方面へは14・22時代を除き1時間に1本
鹿島線は11.15時代を除いて1時間に1本程度電車があり。
※バス便は不明。
簡単な感想
香取神宮前の参道から香取神宮の鳥居をまたいだ後は本殿まで上り坂気味の道を進みます。

道の途中には奥宮と要石と書かれた看板があり

奥にある要石はちょっとした言い伝えがあるので抜粋してお伝えすると
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました
これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。
香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み
大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。
当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し深さ幾十尺と伝えられています。
貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが
根元を見ることが出来なかったといわれています。
とあり、香取市からそれ程離れていない鉾田市付近に断層がある事や
現在も東北地方太平洋沖地震の余震が続くことから
言い伝えの小話はともかくとしても、昔から地震が多い事を証明する
話が今日に到るまで残っていることに、この記事を書いていて感心しました。

要石のある場所を見学した後は更に参道を進み

何となく歩き進めていくうちに参道の幅が狭くなっていくように感じました。

参道の幅が狭くなってから程なくして、総門と呼ばれる場所へと到着し

総門の横にはコジャレた池を備えた庭園が拵えてあり

庭園の奥にはちょっとした滝のような物が見えます。

総門前の庭園を見学した後は、総門手前の鳥居をまたいで先へと進みます。

総門の手前の鳥居をまたいだ後は、その先の総門方面へと移動し

総門横には末社諏訪神社や、正門側とは別に駐車場も近くにあるようです。

総門を抜けた後は楼門内へと入る前に、楼門手前の手水舎で身を清め

その後誰もいなくなった、楼門手前の手水舎を写真撮影を行った後に

香取神宮本殿へと通ずる楼門へと移動します。

楼門の手前には香取神宮の御由緒と書かれた看板があり、御祭神が経津主大神である事や
軽くですが香取神宮の歴史についても触れられています。

見学後に香取神宮について調べた事を文に纏めてみると
香取神宮は日本全国に約400社ある香取神社の総本社で祭神は経津主大神 (伊波比主命)。
神職首座は大宮司、大禰宜といい、経津主の兄(子とも伝えられる)の
天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが
後世大中臣氏(藤原氏)が養子に入り相互に重職を世襲した。
と言われ、創建年は紀元前643年とかなり古くから存在していたようです。
『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し
開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって
農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされていて、一部では創建年が古すぎるのでは?
とも言われているようです。
香取神宮は鹿島神宮と共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視され
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであった。
本殿から鹿島神宮本殿は約13キロメートル、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。
鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖神社本殿は約8キロメートル、ほぼ正確な東にある
(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。
中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握っていた。
とあり、格式と歴史のある神宮である事が読み取れ、2CHまとめサイトの記事の
最強の神社決定戦等でもなかなか良い評価がされているようです。
※なお、社格対象外の伊勢神宮や神話の時代から現存する出雲大社に関しては
他の神社と比べて別格の評価のようです。

楼門前の看板を見て香取神宮の歴史や由来を軽く知った後は、楼門をくぐって本殿前へと移動します。

本殿前に到着した後は、ゆっくりと本殿の周りから舐めるように見学を行います。

※香取神宮本殿エリア内の話へと続く
http://www.spotlog.info/archives/50695190.html
お勧め度
5段階評価で4
千葉県香取市Googleマップの地図
行き方
JR成田線、鹿島線香取駅及びJR成田線佐原駅下車。
下車後香取駅の場合は徒歩30分。
佐原駅の場合はバスがあるらしい(東京からの高速バスもあるようです)
交通の便
佐原駅
成田線
成田方面は21時台を除いて1時間に1~2本
香取駅方面へは1時間に1~2本電車があり。
香取駅
成田線
成田方面へは1時間に1~3本、銚子方面へは14・22時代を除き1時間に1本
鹿島線は11.15時代を除いて1時間に1本程度電車があり。
※バス便は不明。
簡単な感想
香取神宮前の参道から香取神宮の鳥居をまたいだ後は本殿まで上り坂気味の道を進みます。

道の途中には奥宮と要石と書かれた看板があり

奥にある要石はちょっとした言い伝えがあるので抜粋してお伝えすると
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました
これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。
香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み
大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。
当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し深さ幾十尺と伝えられています。
貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが
根元を見ることが出来なかったといわれています。
とあり、香取市からそれ程離れていない鉾田市付近に断層がある事や
現在も東北地方太平洋沖地震の余震が続くことから
言い伝えの小話はともかくとしても、昔から地震が多い事を証明する
話が今日に到るまで残っていることに、この記事を書いていて感心しました。

要石のある場所を見学した後は更に参道を進み

何となく歩き進めていくうちに参道の幅が狭くなっていくように感じました。

参道の幅が狭くなってから程なくして、総門と呼ばれる場所へと到着し

総門の横にはコジャレた池を備えた庭園が拵えてあり

庭園の奥にはちょっとした滝のような物が見えます。

総門前の庭園を見学した後は、総門手前の鳥居をまたいで先へと進みます。

総門の手前の鳥居をまたいだ後は、その先の総門方面へと移動し

総門横には末社諏訪神社や、正門側とは別に駐車場も近くにあるようです。

総門を抜けた後は楼門内へと入る前に、楼門手前の手水舎で身を清め

その後誰もいなくなった、楼門手前の手水舎を写真撮影を行った後に

香取神宮本殿へと通ずる楼門へと移動します。

楼門の手前には香取神宮の御由緒と書かれた看板があり、御祭神が経津主大神である事や
軽くですが香取神宮の歴史についても触れられています。

見学後に香取神宮について調べた事を文に纏めてみると
香取神宮は日本全国に約400社ある香取神社の総本社で祭神は経津主大神 (伊波比主命)。
神職首座は大宮司、大禰宜といい、経津主の兄(子とも伝えられる)の
天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが
後世大中臣氏(藤原氏)が養子に入り相互に重職を世襲した。
と言われ、創建年は紀元前643年とかなり古くから存在していたようです。
『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し
開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって
農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされていて、一部では創建年が古すぎるのでは?
とも言われているようです。
香取神宮は鹿島神宮と共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視され
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであった。
本殿から鹿島神宮本殿は約13キロメートル、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。
鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖神社本殿は約8キロメートル、ほぼ正確な東にある
(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。
中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握っていた。
とあり、格式と歴史のある神宮である事が読み取れ、2CHまとめサイトの記事の
最強の神社決定戦等でもなかなか良い評価がされているようです。
※なお、社格対象外の伊勢神宮や神話の時代から現存する出雲大社に関しては
他の神社と比べて別格の評価のようです。

楼門前の看板を見て香取神宮の歴史や由来を軽く知った後は、楼門をくぐって本殿前へと移動します。

本殿前に到着した後は、ゆっくりと本殿の周りから舐めるように見学を行います。

※香取神宮本殿エリア内の話へと続く
http://www.spotlog.info/archives/50695190.html
お勧め度
5段階評価で4
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