越後湯沢駅(新幹線側)情報
※その他南魚沼郡湯沢町の情報
http://www.spotlog.info/archives/yuzawa-town.html
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場所
新潟県南魚沼郡湯沢町Googleマップの地図
行き方
JR上越新幹線、上越線越後湯沢駅下車。
交通の便
上越新幹線は1時間に1~4本
上越線は長岡方面へは1時間に1~3本(ほくほく線直通もあり)
高崎方面へは10・11・13・14・18・20時代を除き1時間に1本電車があり。
簡単な感想
おみやげを購入した後は越後湯沢駅の新幹線駅構内へと移動すると
ホーム内にものすごく長いスキー板が構内中央付近に展示されていました。

その奥には大きな壁画が飾られています。

その後駅構内待合室らしき場所にはレルヒさんと言うキャラを大々的に押したコーナーがありました。

ここで一押しのレルヒさんとは、実在の人物であるテオドール・エードラー・フォン・レルヒ氏
(一般的にはレルヒ少佐として知られる)の事で
レルヒ氏はオーストリア=ハンガリー帝国の軍人で、日露戦争後にその戦争の勝者である
日本陸軍の研究のため、1910年11月に交換将校として来日しました。
※日露戦争は日本の勝利で終わりましたが、敗戦国のロシアから賠償金が取れず
辛勝と言える条件での締結となったようです。
※戦争の勝利を決めた条約はポーツマス条約(主役は小村寿太郎)です。
当時日本では後日映画化もし、大量の死者を出した八甲田山事故直後だった事もあって
レルヒ少佐が持つスキー技術に注目し、日本でスキーの指導をはじめて行なった人物として知られています。
※レルヒ氏が伝えたスキーは、スキー板一本で滑る方法の為
今のスキーとは違う滑り方で、現在の2本の板で滑るスキーは
1930年に、オーストリアのスキー講師のハンネス・シュナイダー氏によって
いま我々が知る方法で滑るスキーが伝えられました。

2011年はスキーが日本に伝わって100年を迎えた事もあって
越後湯沢や石打付近ではレルヒさん一色でした。

レルヒさんのポスターを見た後は、越後湯沢駅の新幹線ホームへ移動し
ホーム上にはスキーを終えて都内へと帰る観光客や
新潟方面へと向かう観光客でごったがえしていました。

新幹線停車時間が近づくとホーム上には更に沢山の方が押し寄せてきます。

雪深い場所にある駅なので、在来線と同様に新幹線の線路横にも
雪を溶かすために勢い良く水が撒かれていて、常に雪が線路の中に積もらないよう
忙しく散水器が稼動していました。

乗車する新幹線が来る前に新潟方面行きの新幹線が入線してたので撮影し

車体前方には線路上にある石などを飛ばして車体の下に巻き込ませないようにする為の
排障器が設けられ、雪深い場所であれば雪かきをしながら走行できそうです。

その後高崎市内へと向かう新幹線に乗車し、越後湯沢駅を立ってすぐに大清水トンネルへと入ります。
※上越新幹線(浦佐駅から高崎駅間及び越後湯沢駅から高崎駅間)の感想記事
http://www.spotlog.info/archives/50665012.html
お勧め度
5段階評価で4
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JR上越新幹線、上越線越後湯沢駅下車。
交通の便
上越新幹線は1時間に1~4本
上越線は長岡方面へは1時間に1~3本(ほくほく線直通もあり)
高崎方面へは10・11・13・14・18・20時代を除き1時間に1本電車があり。
簡単な感想
おみやげを購入した後は越後湯沢駅の新幹線駅構内へと移動すると
ホーム内にものすごく長いスキー板が構内中央付近に展示されていました。

その奥には大きな壁画が飾られています。

その後駅構内待合室らしき場所にはレルヒさんと言うキャラを大々的に押したコーナーがありました。

ここで一押しのレルヒさんとは、実在の人物であるテオドール・エードラー・フォン・レルヒ氏
(一般的にはレルヒ少佐として知られる)の事で
レルヒ氏はオーストリア=ハンガリー帝国の軍人で、日露戦争後にその戦争の勝者である
日本陸軍の研究のため、1910年11月に交換将校として来日しました。
※日露戦争は日本の勝利で終わりましたが、敗戦国のロシアから賠償金が取れず
辛勝と言える条件での締結となったようです。
※戦争の勝利を決めた条約はポーツマス条約(主役は小村寿太郎)です。
当時日本では後日映画化もし、大量の死者を出した八甲田山事故直後だった事もあって
レルヒ少佐が持つスキー技術に注目し、日本でスキーの指導をはじめて行なった人物として知られています。
※レルヒ氏が伝えたスキーは、スキー板一本で滑る方法の為
今のスキーとは違う滑り方で、現在の2本の板で滑るスキーは
1930年に、オーストリアのスキー講師のハンネス・シュナイダー氏によって
いま我々が知る方法で滑るスキーが伝えられました。

2011年はスキーが日本に伝わって100年を迎えた事もあって
越後湯沢や石打付近ではレルヒさん一色でした。

レルヒさんのポスターを見た後は、越後湯沢駅の新幹線ホームへ移動し
ホーム上にはスキーを終えて都内へと帰る観光客や
新潟方面へと向かう観光客でごったがえしていました。

新幹線停車時間が近づくとホーム上には更に沢山の方が押し寄せてきます。

雪深い場所にある駅なので、在来線と同様に新幹線の線路横にも
雪を溶かすために勢い良く水が撒かれていて、常に雪が線路の中に積もらないよう
忙しく散水器が稼動していました。

乗車する新幹線が来る前に新潟方面行きの新幹線が入線してたので撮影し

車体前方には線路上にある石などを飛ばして車体の下に巻き込ませないようにする為の
排障器が設けられ、雪深い場所であれば雪かきをしながら走行できそうです。

その後高崎市内へと向かう新幹線に乗車し、越後湯沢駅を立ってすぐに大清水トンネルへと入ります。
※上越新幹線(浦佐駅から高崎駅間及び越後湯沢駅から高崎駅間)の感想記事
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